2009年12月31日木曜日

day13

(2009/12/29 近所にて)

雲に覆われた空にぽっかりと開いた穴。
そこから覗く青がとてもとてもきれいで
思わず撮ってしまったのが上の画像。



今年も早いものでもう終わり。
一年一年、時の経過が早くなるように感じて
ときどき足がすくむような恐怖に似た焦りを覚えるけれど、
「きっと大丈夫」って言い聞かせてゆっくり歩いてみる。



新しい明日、新しい一年。

もう迷ったりはしない。
自分の歩く道くらい自分で拓いていけるさ。


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2009年12月17日木曜日

day12


(2009/12/06 お気に入りのバーにて)

ふたご座流星群を見に行った。
あいにくの雨で半ば諦めていたけれど、
夜明け前の雲間にその流れ落つ姿を
しっかりととらえることができた。

外気は体から熱を容赦なく奪い、
吐く息も白く、10数分後に戻った車内は
真っ白に外からの光を淡くぼかしていた。

それでもすごした時間はかけがえなく、愛おしく
とてもとても満たされていた。


また次の流星群を見に行けたら、
なんて欲張りな自分がいる。

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2009年12月1日火曜日

day11


(2009/12/01 ジョイナス屋上にて)


この二週間ほど、かなりの時間を
周囲の拘束のもと過ごしていた。

ふと気づけば秋の気配はなく、
冷たくなり始めた空気に
ジャケットの襟を立てながら歩いていた。
そして亡き恩師のことを思い出した。

ダンボールに囲まれ、寝袋の中凍える人の姿を
毎日のように目の当たりにしたかと思えば、
ようやく歩き始めたばかりの幼子の姿を視界の隅にとらえたり、
現実と夢の狭間に揺れ動く大人達と言葉を交わしたりもした。


日々、何かしらの影響を受け、
この心は壊れたメトロノームのように
大きく揺れたり、時に立ち止まったりする。

並みの文庫ならば二日で読み上げてしまう自分が
たった一冊の本を一週間かけてじっくりと消化し、
腹の奥底まで残るような余韻に打たれ、
涙したりもした。



我に返る。

今日も多くのことを考え、
悩み、また多くのことに対し
感謝をし、命をつないでいる。


この命は生きるために与えられた。
生き、その生を全うするために与えられた。



同じ場所、同じ木の枝の先々に
その生命力をみなぎらせ青々としていた楓も
今は訪れし冬に備え、体をこわばらせ始めている。
寒さに負けぬよう、数ヵ月後に訪れる春に
またその命の証を広げんと、懸命に息をしている。


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2009年11月15日日曜日

day10


(2009/05/09 ジョイナス屋上にて)


今日、これから飲みに行く。
町田でベンジャミンと飲む。
ベンジャミンはオレゴンの大学から来た
某大手企業で研修を受けているインターン学生。


毎日、いろいろあるけれど
それら全て、楽しまなければ。

たった一度の人生だからね。


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2009年11月10日火曜日

day9


(2009/11/09 鎌倉にて)


久しぶりに散歩に出かけた。
藤沢駅から鎌倉目指して歩くこと、約5km。
高徳院の大仏を拝観し、胎内に抱かれた後、
ハイキングコースへ。

途中、すれ違ったオーストラリア人夫婦と二言三言会話し、
リスの息づく山の中を歩くこと1時間半。
途中、リスが色々なところで待ち伏せをしてくれてた。

頼朝像の近くではキリギリス?(下の写真)にも出会えた。



(2009/11/09 鎌倉にて)


自然の中を歩くということ、広い空を見上げるということが
こんなにも幸せなことだと、どれだけの人が思えるだろう。

同じ24時間が平等に与えられているのに、
実は時の流れの緩やかさ、優しさを忘れてしまってはいないだろうか。


古都を訪れるたびに、自分が日本人で良かったと思える僕は
近い将来、日本を離れることになる。


けれど、決して忘れはしない。


自分がこの国に産まれ、生きてきたこと。
ゆっくりとした時の流れの中に、僕らの命が息づいていること。


どうかすべての人に、同じ空が広がることを。
そしてその命の尊さ、偉大さを
すべての人が忘れずに生きていけることをただただ願う。

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2009年11月2日月曜日

day8

久しぶりの更新。



僕の大切なみんなは今日も幸せだろうか。。。



(2009/11/01 深夜の新宿駅地下通路にて)



「み~んな、幸せになれ(れ)ばいいのに」


最近、そんな風に思う。

誰もが、望む幸せを手に入れ、その幸せに満足し、
毎日を生きていければいいのに、と。



幸せの形は千差万別。
人それぞれ、望む幸せの形は違う。
たくさんの人に幸せを分け与えんとする人もいれば、
そのキャパシティの中で大切な人を愛し、慈しみ、
守ろうとする人もいる。


僕はどんな形でも構わないと思う。

ただ、愛を与え合い、分かち合い、
そうやって成り立っているこの世の中のはずだから、
とにかく幸せを誰もが手にすることができればいいのにと、
そう思う。


きれいごと、理想主義、ロマンティスト。
そんな言葉がどこからか聞こえてきそうだけれど、
いつからか人の心は荒み、どんな理想も夢も、
「きれいごと」になり、「ただの理想」になり、
「ロマンティスト」と蔑視されるようになってしまった。


夢を見ることの何が悪いのか。
理想を語ることの何が悪いのか。
きれいごとと一括りにしないで、
ちゃんと実現させればいいじゃないか。
他人の評価が「偽善者」でもいいじゃないか。


できる人が、できる時に、
その人のできる範囲のことを最大限に行えれば、
それでいいじゃないか。




ダンボールハウスに住むホームレスの中には
自らその道を選んだ人もいるはず。
それがその人の幸せなら、それでいいと思うんだ。
そうやって懸命に自分の命を生きてるんだ。

望まずして、その道を選ばざるを得なかった人達だって
まだまだ自分の命を生きる道を
たくさん持ってるはずだと思うんだ。


生きていること、それだけでとても尊いことで
とても幸せなこと。

僕はそう思うから、今とても幸せに生きることができてる。
欲求不満な部分もちょこちょこあるけれど、
それでも命をしっかりと繋げている自分を
とてもとても幸せに思う。


本当に本当に、そう思えてるんだ。


だから願う。

「みんなが今日も幸せでいられますよう」



PS はのとこ、リニューアルしました。
http://hanotoko.blogspot.com/
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2009年10月17日土曜日

day7

この世の中は、人と人がともにそれぞれが提供できるものを提供し合い、
そしてそれを互いに分かち合うことで成立しているはずなのに、
ときに人は相手から搾取し、奪い、盗り、そして平気な顔をして生きている。

与えられることに慣れて、与えることを忘れ、
いつからか自分が築いた世界から足を踏み出すことを恐れ、
自分の牙城を死守せんと必死になる。

常に奪われる方は与えるばかりで相手から得ることを望むことすらできず、
ひたすら与え続け、与え続け、そして周りに何も残すことができず、
自らの内側に秘めた最後の一滴まで搾り取られ、いつか心が枯渇し、
二つの道しか残されない。

「物理的な死」か「精神的な死」か。。。


(2009/09/02 大西洋に面したビーチにて)

どちらを選ぶにしても、「生」ではなくなる。。。




人は、与えられた命を精一杯生きることが唯一の絶対。
その中で他から争奪の応酬合戦をすることに何の意味もない。




できる人が、その人のできるときに、その人のできる範囲内で、
可能な限りできることをし、そうやってそれを提供し合い、生きていければ
それ以上を望む必要なんてない。

そうやって世の中は成立している。
そうあるべきだし、そうあるはずなのに。。。

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2009年10月13日火曜日

day6

人は変われる。

正確に言うならば、性格は変わらない。
でも、行動や意識を変えることで
その日のすごし方、その日以降の過ごし方を
変えることができる。

それを「人は変われる」と表現することに
何の抵抗があるだろう。


(2009/10/06 雨のお台場にて)



だから、君も僕も変われるんだ。

変われるんだよ。

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2009年10月6日火曜日

day5

なんとなく。
ただなんとなく生きていてもいいと思う。

意思を持って、
一生懸命生きているのも素敵だけれど、

ただ、ふんわりと。
ふんわりと生きているのもいいんじゃないかと思う。

生き方なんて人それぞれ。

要は責任を持ち、義務を果たし、
その上で他人に迷惑かけない限りは、

なんとなく、
ふんわりと生きていてもいいと思う。

僕はそれを望まないけれどね。

(2009/10/05 合挽肉と香味野菜、軽いトマト風味スパゲッティ)

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2009年10月5日月曜日

day4

一月半ほどをすべて自分の思うように過ごした。

色々なことを思い、考え、行動し、
過去を振り返り反省し、未来を思い浮かべ夢を這わせ、
そして今の立ち位置を確認し、過ごした。

ここ数年を振り返ってわかったことがひとつだけある。
僕は逃げなくなった。
ただ、現実に戸惑い、迷い、悩み、立ち止まることが増えた。
その結果、多くの人を傷つけ、自分を傷つけることもあった。

同じ職場で同じ方向を見ていたはずの仲間を裏切り、
侮辱し、ひどく傷つけたこともあった。
大切に思っていた人には大切にしている素振りだけを見せ、
本当は少しずつ少しずつ悲しい思いを
積み重ねさせていただけだったのかもしれない、
そんな風にも思える。



ここに、こうして書いている言葉は
何を解決するものでもなく、何かをプラスに作用するものでもなく
ただ懺悔という自己満足だけなのかもしれないし、
何よりそんな言い訳をここに書いている
自分自身への言い訳なのかもしれない。


(2009/09/28 鵠沼海岸にて)


山を登り、浜辺を歩き、そして得たものは
うまく言葉にできないけれど、多分「心の平穏」だろう。
そうして落ち着いていろいろなことを振り返り、
確認し、今は未来を向けている。



僕は常々、謙虚さが足りないと人に言われてきた。
そして、そう言ってくれた人たちの言葉に耳を傾けながらも
右から左に流していた自分がいた。


今は、少しわかる気がする。


おごりを捨て、新しい気持ちでもう一度始められたら
きっと同じ過ちは繰り返さない。
そう信じて、謙虚に生きていこうと思う。


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2009年9月29日火曜日

day3


(2009/09/28 鵠沼海岸にて)

どこから流れ着いたのか。
行くあてもなく波間を漂い打ち上げられたのか。

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2009年9月27日日曜日

day2

24時間以上、まともに言葉を発していない。
出先で都合上の会話を一言二言交わしただけ。
だからと言って、何が悲しいわけでもなんでもない。

ただ、それだけのことだ。


空は薄曇。
時折明るくなるが、このまま一週間は青空を望めない。

心に雲が広がらないよう、気をしっかりと持とうと思う。


思い描くのはあの青い空。
林立するビルに隠されない、青い空。
電線と電柱に切り取られていない、広い青い空。

その青い空の下で息をしている自分を思い描く。
ただ、ただ、思い描く。

そしてそこに立つ自分が近い未来に存在することを確信している。


(2009/05/17 エリンギと小松菜、鶏肉のアーリオオーリオスパゲッティ)

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2009年9月25日金曜日

day1



パッションフルーツの樹(2009/08/06 山崎蒸留所にて)

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2009年9月2日水曜日

day0

ほぼ10年ぶりの砂浜。
海辺の街。

アイスクリームに必死な子供達の横顔。
家族で過ごす時間を楽しむ人達の笑顔。

たった30分程度の滞在だったけれど、
十分すぎる夏の思い出。

きっと僕はまたここに来る。
そのときはきっと、もっと素直に
海風に吹かれ、波の音を聞きながらいることだろう。

この海はとても優しく、
初めて訪れたこの異邦人を受け入れてくれた。

僕も僕の命をもっともっと素直に受け入れられるだろう。

あと2日後には日本に帰り、また新しい生活を始める。
それはほっとするようで、悲しいような。

とても有意義な数年振りの夏休み。
感謝。



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2009年8月28日金曜日

day-1 空を飛びながら

過ぎていく時間が
こんなにもゆっくりと感じられたのは
いつが最後だったろう。

この体が、この頭が
過ぎ去っていく一秒一秒を
しっかりと記憶に刻んでいくような感覚。

こんなにも
自分の生命を鼓動をしっかりと
強く、頼もしく感じられる今を
この瞬間を

僕は忘れない。
決して忘れやしない。


NW0026便にて

(2009.08.26.)
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2009年8月24日月曜日

day-2 さよならを告げた街

昨日、窓から見下ろした景色は
きっと今日も変わらずにある。
そこを歩く人の波も、車の列も
同じようにあるんだろう。

その街にいた僕のことを知っていた人間は
本当に一握り。
今日から僕がその街にいないことなど
知る由もない。

同じ空の下、同じ時間に
別の場所で息をする人間の数を考えると
眩暈を感じた気になる。

同じ時間、同じ地球の上で
別の場所で息をしているにもかかわらず、
視線を合わせることすらない人間の数を考えると
なんだか寂しく、空虚な思いになる。

たとえば、今日。
誰かが路上で寝転んだまま息を絶えても、
誰も気に止めやしないんだ。
そこに住んでいる人間すら、
翌日には「恐ろしいね」という言葉を発して
その事実を片付けてしまうのかもしれない。

極端かもしれないが、そんな世界だ。
そんな時代なんだ。


そんなに僕らの命は空虚なものなのか?


そうは思わない。



生きている意味を、
生きた意味を残し続けたい。


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2009年6月3日水曜日

day-3 the way i stand.

意思を伝えることの難しさ。
日々痛感する。

言葉は嘘をつくことがある。
態度や姿勢は嘘をつかない。

自分が不器用なことなんて
とっくに知ってる。

だからって器用になろうとは思わない。
器用に生きていこうともしない。

僕には僕の生き方がある。
そこに想いもある。

伝わるか伝わらないかなんてのは
自分がどうこうもがいたって仕方ない。

届くときは届く。
うまくいかないときもあれば
裏切られるときもある。


あきらめのような、達観のような。


今日も僕は不器用に、
でも、それを幸せに思いながら生きる。

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2009年4月27日月曜日

2009年4月23日木曜日

day-5 ワクワク



子供の頃のこと、思い出そうぜ。

2009年4月21日火曜日

day-6 Adventure

今日はバスで出かけた。
久しぶりのバス。

毎日見る景色を別の角度から眺めるのもまたいいもんだ。

普段は安くて早いルートを選んでいるけれども
今日は休みだし、たまには別ルートで出かけてみるのも楽しいかと思って
そうしてみた。

ちょっとした冒険旅行。

見慣れた街が知らない街になる。
何気なく通り過ぎていた道が
新しい発見をもたらしてくれる。

「あ。あんなところにパン屋がある。」
「へぇ~、ここ、こんな風に変わったんだ。」なんてことの連続。

近所が緑地だから、自然にはことかかかないし。
花、木々の新芽。小鳥。などなど。
春先には必ずうぐいすが鳴く。

みんなもたまにはバスに乗って出かけてみるといいのにな。
きっとたくさんの新しい発見が出迎えてくれる。

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2009年4月12日日曜日

day-7 言葉に出会う。

「言葉に出会う。」


なんて言葉なんだろう!
って少しショックを受けた表現。


今日、立ち寄った本屋で見つけた本の中の一節。
まだ購入してはないのだけれど、給料が入ったら買おうと思ってる本。


言葉に出会う。


素敵な言い回しだ。



僕も言葉に出会うことが多い。

言葉に出会うと言うと大げさだけれど、僕は言葉を大事にしている。
自分が発する言葉に気を配りきれてはいないけれど、
思いを伝えたいとき、自分の考えを理解してほしいとき、
僕は言葉を慎重に選ぼうとする。

それは僕が言葉にとても敏感で、ときに傷ついたり、
また、ときに喜んだりすることが多いからかもしれない。



実は僕は中学生の頃から詩を書いていた。
今読み返したら、恥ずかしさで顔が真っ赤になるどころか、
自ら穴を掘って隠れたいくらい若くて青い詩ばかり。
まぁ、今はいい思い出だけどね。


初恋の子にラブレターを書いたこともあったなぁ。
もちろん見事玉砕。
今のご時勢だったら気持ち悪いって言われるんだろな。笑
ムラタさん、元気かなぁ。多分もうお母さんになってるんだろうなぁ。


とにかく、14歳くらいからずっと僕は言葉を意識して生きてきた。
内向的な、自己表現の下手糞な僕だったから、
何かしら媒体がなければ自分を伝えられなかったせいか、
いつからか言葉を書くようになって、
そうしたら媒体を介せば、言葉を選べるようになって、
・・・相手を傷つける言葉も選べるようになってしまって。。。

そんな自分を否定し、嫌い、自分も傷ついたりして、ね。


話は変わるけど、
例えばさ、Eメール上でのやりとりなんか大変だよね。
こちらが意図していないことを相手が勘ぐったり、
相手はそんなつもりないのに、こちらはプラスにもマイナスにも受け取ったり。

同じ言葉でもそのときの感情によって伝わり方が全然違う。
親友とのメールのやりとりだって、そんなことが起こるんだもん、
本当に言葉って難しい。




言葉って本当に大事にしなきゃいけないなって思うんだ。
自分を理解ってもらおうと思ったら、本当に心に素直に
でも丁寧に言葉を集めて並べていかなきゃだろうし、
それが本当に大事な人への言葉だったら、
ちゃんと向き合って伝えなきゃだしね。。。

うまくできないもんなんだけどね。。。


この先、生きていく中で出会う言葉の一つ一つがどんな思いを持ち、
どんな思いで発せられているのかを今まで以上に注意深く見つめ、
受け止め、大事にしていこうってその本に出会ったときに思ったんだ。

だから、今、そんなことを書きたくなってね、書いてみた。

これから出会う言葉の一つ一つが自分を豊かにしてくれたり、
時には救ってくれたりすると思うし、何より、
言葉は必ず発した人の意思を持っているから、
それを少しでも理解していきたいしね。

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day-8 生命(いのち)

僕の周りには命を大事にしている人が多い。
そして同時に、そんな人は出会いを大事にしている。
僕はそんな大事な人たちにいつも支えられて生きてる。


でも他の人たちは自分の命をどう考えているんだろう。
どんな風にとらえているんだろう。


僕は時折、そんなことを考える。
僕の育ってきた環境がそうさせるのかもしれないけれど。

ただ、今の僕は、毎日を大事に大事に生きてると言える。



いつ、この命が消えてなくなるかわからないという事実に
どれだけの人が気づいているんだろう。
どれだけの人が意識して生きているんだろう。

みんな気づいているのかな。
気づいているけど気づかないふりをしてるのかな。


望まれずして産まれてくる命があるということ。
この世に産声をあげることもなく、消えていく命があるということ。
長くはいられないとわかっていながら、
それでも必死に生きようとする命があること。
無念の思いで自ら絶つ命があること。
明日を夢見たまま奪われていく命があるということ。


今日も一日が無事に終わるという事実がどんなに幸せなことか。


気づいているけど気づかないふりをしてるのかな

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2009年3月1日日曜日

day-9 31

もう30分くらいで誕生日。
この一年もあっという間に過ぎた。

うれしいことも悲しいこともあったけれど、
僕はここに生き、今またこうやってブログを書いてる。

とても幸せなことだと、あらためて実感する。

明日からがまた新しい一年の始まり。
来年の僕はどう生きているのだろう。


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2009年2月3日火曜日

day-10 君にもできる欧風料理 その1

今日は珍しく料理について。

僕は好きで自炊をしている。
ここ数年は仕事も飲食だし、
特にこの半年くらいは生活苦もあって(笑、
以前よりも頻繁に料理をするようになった。

職場の料理長のおかげでもあるけれど。



で、この間作った料理が意外とおいしかったので、
今日はそれをご紹介。
何人前になるかはわからないけれど、
きっと男の子でもできるよ。



~~ 鶏のさっぱりグリル、フランボワーズソース添え ~~


材料:

■ チキングリル ■

鶏もも 1枚

レモンスライス 2mm程度 3枚

パセリ 適量 (パセリの代わりにバジルや他のハーブで試しても面白いと思う)

白ワイン 50cc程度

オリーヴオイル 適量

塩 適量(一つまみくらい)

■ ソース ■

フランボワーズソース(甘味のついているもの。ジャムでも可) 70cc程度(ジャムなら大さじ2~3かな)

赤ワイン 70cc程度

■ レシピ ■■■

① 鶏を仕込みます。厚さが均一になるように鶏ももを開いていきます。
  皮は取らずにそのままで。でも、面倒なら開かなくてもいいです。

② レモンスライスを適当に(1cm程度)のみじん切りにします。

③ パセリも粗いみじん切りにします。

④ ①~③の材料すべてと塩、白ワイン、オリーヴオイル少々を
  袋(ボウルでも良し)に入れ、軽くもんだ後、
  2~3時間ほど冷蔵庫でねかします。

⑤ レモンとパセリを取り除いた④の鶏をフライパンで皮目から焼きます。

⑥ ⑤の鶏の皮目に色が付いたら(軽く焦げたら)、ひっくり返します。

⑦ ⑥の鶏を専用の皿に移し、200℃のオーブンで5分ほど焼きます。
  オーブンがないかたはそのままフライパンで焼いてください。
  (白ワインを30ccくらい入れ、弱火~中火で蓋をして焼いてください。)

⑧ 鶏もも肉を焼いている間に別の鍋にソースを作っておきましょう。
  鍋に赤ワインとフランボワーズソースを入れ、強火でアルコールを飛ばしながら
  とろみをつけます。蜂蜜と同じくらいのとろみがつけばオッケイ。

⑨ 鶏もも肉に熱が通ったら、最初によけたレモンとパセリを鶏の上に乗せ、
  さらに1分ほど加熱してください。

⑩ ⑨の鶏をお皿に盛り付けます。
  その際、パセリの緑とレモンの黄色が上にくるように。

⑪ ⑧のソースを彩りよくかけてください。そしたらできあがり。


※ 鶏を開く工程を省いた場合は焼くときに
  熱の通りがムラになってしまうので注意!
  できたら頑張って開きましょう。

※ ソースはワインの量とフランボワーズソース(ジャム)の量で
  甘さを調整できるので、お好みのバランスでやってみてください。

※ フランボワーズソースではなく、ブルーベリーとかでもいけます。
   フレッシュのベリーを使う場合は砂糖を入れて甘みをつけてくださいね。

※ マリネ(つけこむ)する際に、ニンニクのみじん切りを少し入れるだけで
  風味が変わりますので、やりたいと思ったら、やってみてください。


ちなみに、これ。
失敗しても責任は取れませんので、あしからず。

2009年1月1日木曜日

day-11 2009

2009年。

世間は新しい年の始まりをお祝いしてる。

でも、世界のどこかでは今も戦闘状態。
民族の対立は絶えない。
飢餓で苦しんでる人もいる。
仕事を失い、苦しんでる人もいる。


新しい一年の始まりを祝いながら過ごせている人なんて、
本当はほんの一握りなのかもしれない。


僕は。。。


僕は幸せだと思う。
幸せだと言えると思う。

個人的なことだけれど、
実際、僕は経済的に苦しい時期ではあるし、
公私とも大事な時期にさしかかっている。


でも、間違いなく命は続いてる。
生きていることを実感できてる。


だから僕は幸せだ。
それだけで十分だ。

大事なのは今を、自分がどう思うか。

辛いことを辛いと思って終わるか。
悲しいことを悲しいと感じて終わるか。
それとも、「あぁ、でも良かったな」って思えるか。

新しい一年の始まりにこう書いてしまうと、
なんだか寂しい気もするけれども、
僕は間違いなく幸せだと思う。


だから僕は満足だ。

別に、無理してそう言い聞かせようとしているんじゃないんだ。


僕は今、とても幸せだと、
恵まれているなと素直にそう思うんだ。

そう思うんだよ。


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